突然昔の話で恐縮ですが
1844年オランダ国王が忠告してきた。
開国を求めて外国船がくるぞと。
1846年、アメリカから、ビッドル提督率いる軍艦が
浦賀に来た。開国要求の親書を持っていたが、何か
事情があったらしく交渉せずに帰ってしまった。
当時の老中阿部正弘は諸藩に江戸湾の警備をまかせた。
老中というとどうしてもお年寄りを連想してしまうが、
阿部はこのとき、30歳前後であったらしい。
そして、三浦半島と房総半島の先あたり、つまり江戸湾
の入り口に大砲を増設した、台場とは埋め立て地や海岸で砲台を置くための場所の
ことである。大砲は計96門になったそうだ。
1853年7月8日、浦賀奉行所に4隻の船が現れたと
連絡が入った。が、その時点ではすでに黒船艦隊は浦賀港に
イカリをおろしていたらしい。
ペリーは大統領の国書を渡すと、また来年来ると言い残し、
さっさと帰ってしまった。
そして、品川沖に台場を11ヶ所建設する事になった。
こうして作られたのがお台場にある台場である。
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