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第18章 東京湾(5)

2004.6.26

航路図 

(写真をクリックすると大きくなるものもあります。)

観覧車と、ゆりかもめと、あけみ橋
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読者の皆さんこんばんは。枠の外側の色をご覧ください。記憶をたよりに再現したつもりですが、湾の水の色です、かいつまんでいうと黒っぽい緑色でしょうか。

さて、低い橋をくぐります。私たちの乗っている船は一番上がデッキになっていて、私はそこにいたのですが低い橋をくぐるのでしゃがんで下さいということになりました。仮面ライダーのロケに使われたこともあるあけみ橋です。立ち上がると頭をぶつけるのでみんな緊張しているようでした。この橋の’底’を撮りましたがおそらく見たい人はいないと思いますので割愛します。
水道管の橋?
風車
いくつか低い橋をくぐりました。
レインボーブリッジ
れ

そしてレインボーブリッジです。ここはもう余裕の高さです。 もご覧ください。
第六台場(左)、第三台場(中央)
だ
突然昔の話で恐縮ですが

1844年オランダ国王が忠告してきた。 開国を求めて外国船がくるぞと。 1846年、アメリカから、ビッドル提督率いる軍艦が 浦賀に来た。開国要求の親書を持っていたが、何か 事情があったらしく交渉せずに帰ってしまった。
当時の老中阿部正弘は諸藩に江戸湾の警備をまかせた。 老中というとどうしてもお年寄りを連想してしまうが、 阿部はこのとき、30歳前後であったらしい。
そして、三浦半島と房総半島の先あたり、つまり江戸湾 の入り口に大砲を増設した、台場とは埋め立て地や海岸で砲台を置くための場所の ことである。大砲は計96門になったそうだ。
1853年7月8日、浦賀奉行所に4隻の船が現れたと 連絡が入った。が、その時点ではすでに黒船艦隊は浦賀港に イカリをおろしていたらしい。

ペリーは大統領の国書を渡すと、また来年来ると言い残し、 さっさと帰ってしまった。 そして、品川沖に台場を11ヶ所建設する事になった。 こうして作られたのがお台場にある台場である。
第六台場
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この第六台場は孤立しています。大袈裟にいえば独自の生態系を築きつつあると言えるのでしょうか。
---18章終わり---



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