オ〜ッ君の東京散歩

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第6章 四谷〜 (3,4)

2004.1.11
「ノルウエイの森」で僕と直子が歩いた道を
寄り道しながら歩いてみるシリーズ--1


周辺の地図

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赤坂見附跡
赤坂見附

読者の皆さんご機嫌いかがですか?
さて、最初の方針である僕と直子の歩いた道から反対に歩きはじめてしばらくたちましたが、まだ戻る気配はありません、どうなるんでしょうか?

弁慶掘を通り過ぎて上り坂を少し行くと赤坂見附跡がある。この石は積み上げているだけなのだろうか、見事にくっついている。
隣に案内版があり、明治時代のようすが掲示されている。
文章の部分はアルバムに写真があります。
【石垣】大きな石や岩を壁のように積み重ねたもの。
【石組み】大きな石をうまく積んで石垣を作ること。   ---新明解国語辞典第5版---

明治初期の様子と私の影。
案内

さて、このまま素直に直進すると永田町方面であるが、私たちはそちらへは行けない事情を抱えていた。「空腹!」であった。「永田町あたりで食べるところを探すのは無謀じゃろう。」ということで、赤坂の一ツ木通りへ向かうことにした。
途中、セルフの讃岐うどんの店があって、つばを飲み込んだが、休憩がてら少し落ち着きたかったのでファミリーレストランにした。
赤坂不動尊が小さいながら、いささか気になるのでいってみることにした。

威徳寺


不動
不動明王は仏教圏で広く信仰されているが、起源は明らかではないらし
い。今明らかでないということは、これから先もあきらかにはならないのだ
ろう。日本の不動明王はおおかた写真のようなカンジらしいがよその国に
行くと形はさまざまなのだそうだ。右手の剣は悪魔や煩悩をくじき、左手
の綱(影になってしまっていますが)は自由をあらわしているそうだ。
参考:平凡社の百科事典

不動

---つづく---
豊川稲荷
豊川稲荷



読者の皆さん寒さ厳しいおり、いかがお過ごしですか?
前号にて、不動明王の手のところが影になっていてじれったい思いをされた方も多かったかと思います。失礼致しましたこれが 不動明王です。
近頃歴史的な場所を訪ねることが多くなり、少しですが勉強しています。以前少し触れましたが、私は歴史が苦手です。歴史関係の本を読んでいると、目は文字を追っているけれど、情報はまるでニュートリノが地球をすり抜けるが如く脳をすり抜けていくのであります。
しかし実際に訪ねたところですと少しは記憶に残るようです。

赤坂不動を裏口から出て細い道をちょこちょこ歩いていくと246号青山通りにでた。歩道橋の上から羊羹のとらやがみえた。 赤坂御用地沿いに歩いていると自転車のおまわりさんとすれ違った、その白自転車はなんとギア付のミニサイクル!このあたりは坂が多いので普通の自転車では大変なのであろう。ここだけの話なのですがたまに、ぷんぷくりんに太った警官の方がいらっしゃるが何かあったときの身のこなしは大丈夫なのだろうか?犯人を追いかけるのにどれくらいの速度で走れるのでしょうか?まぁ大丈夫ならそれでいいんですけど。
そして、豊川稲荷に着きました。

大岡越前廟
大岡越前廟

時代劇で有名な大岡越前守忠相(ただすけ)は八代将軍吉宗に寺社奉行兼奏者番に登用され現在の愛知県岡崎市あたりを領地とした。その近くの現豊川市にある妙厳寺が豊川稲荷である。大岡越前守忠相は妙厳寺から分霊してもらって、江戸の自分の屋敷内に祀ったのだそうだ。
そこから明治20年に現在の場所に移転した。赤坂の豊川稲荷は正しくは豊川稲荷別院となっている。
【廟】王者、偉人などの霊を祭った所。
【墓】死体、遺骨を埋めた所。   ---新明解国語辞典第5版---

百恵
ちらほら見物しながら歩いていくと珍しいものを見つけた。花の高三トリオの卒業記念植樹です。
山口百恵さん-----山茶花
桜田淳子さん-----木蓮
森 昌子さん-----泰山木
それぞれ、立派に育っておりまする。

豊川稲荷
参考HP:
歴史の足跡
豊川稲荷別院の職員さんの作ったページ

---つづく---


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