オ〜ッ君の東京散歩
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第6章 四谷〜 (5,6)2004.1.11
「ノルウエイの森」で僕と直子が歩いた道を
寄り道しながら歩いてみるシリーズ--1
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弁慶橋
読者の皆さん寒さ厳しいおり、お元気ですか?
また、弁慶堀に戻ってきました。以前ここに「釣りはだめ」の看板があるのをご紹介しましたが、わたしがボートで釣りをしている人に対して疑問符を投げかけているように受け取られた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ここは、岸からの投げ釣りが禁止でボートでの釣りは問題ないようです。
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さて、今度は弁慶橋を渡ってみます、私は弁慶堀にかかっている橋だから弁慶橋だと思っていましたが、由来を書いた立て札を読みますと(アルバムにあります)どうもそうではないらしい、ひょっとすると、弁慶橋の架かっている堀だから弁慶堀と名付けられたのかも知れません。
そして、清水谷公園に到着しました。
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清水谷公園
この公園はその名から想像できますが、水に縁がありそうです。展示されていた石枡は江戸時代に作られた水道の一部だそうだ。(アルバムに説明文)そして、なんと湧き水があった!(アルバムに写真)と思ったのですが、これは人工的に復元したもので、本物はとうの昔に枯渇している。
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石枡
'うぉっ!'なにやら大きな碑があるぞ。
この近所で暗殺された大久保利通さんの哀悼碑だ。6mもの高さがある。彼のお墓もかなり大きいとの噂がある。
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大久保利通哀悼碑
四谷-市ヶ谷の土手
読者の皆さんお元気ですか?
そろそろ梅の花も咲き始め、春の足音が聞こえるような気もするし聞こえないと言われれば聞こえない、そんな今日この頃です。
ようやく四谷-市ヶ谷の土手にもどることができました。
僕と直子のあるいた土手です。みごとに閑散としております。(地図のピンのところ)
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今回は、ここに戻るまでの清水谷公園から四ッ谷駅の途中にある福田家さんとイグナチオ教会を訪ねます。
江戸時代このあたりは、清水谷公園、赤坂プリンスのあたりが紀伊家、ニューオータニ一角が井伊家、この福田家、上智大学あたりが尾張家のそれぞれ中屋敷があったところです。土手の桜を寄贈された福田家さんは料亭で、40年ほど前には囲碁史に残る名勝負が行われました。いまはビルになっています。
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福田家
そして教会の中をうろうろしてみました。日曜日ということでたくさんの人が集っていました。丸い聖堂では新年の催しが厳かに行われていました。
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イグナチオ教会
塔
聖堂
---つづく---
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